還暦過ぎコピーライターの怪顧録。

今日まで、見たこと、聞いたこと、感じたこと。

今ならパワハラ?の師弟関係?①

その昔、私が新人コピーライターだった時のお話です。新卒で入社したナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)の先輩コピーライターから「明日の朝までにコピーを100本は書いてこいよ!」と言われるのは当たり前。

いざ必死で100本書いたコピーを見せると「ダメだな!」と、その場でコピーを丸めて投げられたり、ゴミ箱の上に置かれたりしていました。

さすがに後で悪いと思ったのでしょう。投げたコピーの中から「これと、これは、面白いと思うよ。でも上(社長)を説得できないかもね。」「この切り口で、もう少し考えてみたら?」などとアドバイスをしてくれました。

また、仕事が終わると、毎晩のように「ちょっとメシ食って帰るよ!」と飲みに誘われ、いつも同じような説教と愚痴を聞かされるのです。そして最後に「明日の朝までにコピー100本だからな!」と言って帰っていきます。

今だと完全に『パワハラ』ですよね。でも、その当時は「これも修行だ!」と、そんなに嫌でもなかったです。ただ、たまに高い飲み屋の支払いを“割り勘”にされた時は「誘われたのに、何で?」と腹が立ちましたがね。

f:id:ymo1959:20201013175139j:plain■私のコピーの師匠は4人です。

まず宣伝会議コピーライター養成講座でお世話になった電通の岡田耕さん。まだコピーライターの卵にもなっていない、私の“微々たる可能性”を最初に褒めてくれた人です。

「このコピーの切り口は素晴らしい。きっと良いコピーライターになれるでしょうね。」と一般コースの時に言われ、その気になって専門コースは岡田耕さんのクラスを選びました。

あっ!河田卓さんにも褒めらたことがあります。私、褒められると勘違いするタイプなんです。

コピーライターになってからお会いしたのは、2、3年続いた岡田クラスの同窓会と、私が卒業生として養成講座で講義をした時ぐらいですかね。

そうそう思い出しました。岡田さんから2度ほど突然電話が掛かってきて、電通系列の広告制作会社に転職しないかと言われ、何回か会っていますね。

いずれもグラフィック広告専門の制作会社だったのでお断りしましたが、中村禎さんや神谷幸之助さんのように電通本体に誘ってくれたら、二つ返事で行ったのにね。

ご本人に直接聞いていませんが、確か新潟のご出身で、年齢的に今年亡くなった私の父と同じ高校の同級生または1年先輩にあたるのではないでしょうか。私の勘違いでしたら、すみません。

随分と前になりますが、岡田さんの訃報は電通報で知りました。本当にありがとうございました。

次の師匠も同じく養成講座でお世話になった電通の石田さんです。岡田さんがお忙しい方だったので、よくピンチヒッターで専門コースの講師をなさってました。石田さんとはコピーライターになってからも、ちょくちょくお会いして飲んでいましたね。

飲みながらコピーのアドバイスを受けたり、転職の相談をしたりしていたのですが、ひょんなことから行き違いが生じ、もう20年以上お会いしておりません。早期退職なさり、東京経済大学の講師などをされていたようですが、お元気でいらっしゃることを願っております。

■コピーライターの基本を叩き込んでくれた師匠。

残る2人の師匠は、前述したナショナル宣伝研究所の先輩こと福永さんと、コピー部の部長だった島田さんです。最後にお会いしたのは4年前でしょうか?当時グループCDだった京藤さんのお通夜の席です。

福永さんは、ちょっとバンカラ(死語?)なところはありますが、曲がったことが大嫌いで、情のある良い先輩でした。

ただ明治大学の出身で、私が法政大学の出身であることを、ネタに色々といわれましたがね。

新人の時は福永さんの広告原稿をリライトすることが多く、“ナショ研調”といわれていた文体がカラダに染みつき、未だに書いていると、ときどき顔を出します。

島田さんは温厚な方でしたが、妙に頑固なところもありましたね。松下電器旭硝子の企業広告/技術広告をメインに担当されており、長めのボディコピーがとても上手かったです。文書の切り方、言い回しなどを良くチェックされました。

私も松下電器の企業広告を担当していたので、島田さんと取材に行くことが多かったです。取材先に対する礼儀作法から、聞くべきポイント、取材後の情報整理の仕方など、色々と学ばせていただきました。

でも、私と同じように島田さんも『校正』が余りお得意ではなく、2人して“ザルのように穴の開いた校正ミス”をするので、営業部の部長から『大ザル、子ザル』と呼ばていました。

■師匠!不肖の弟子ですみません。

実際、今なら『パワハラ』といわれることも多々あったと思います。CMの仕事をしたくて、私はナショ研を5年で卒業し、広告代理店に転職したわけですが、時代の違いか?世代の違いか?人一倍厳しくコピーの基本を叩き込んでくれたことを、還暦を過ぎた今でも大変感謝しております。
(※本当のパワハラはとても陰湿です。残念ながら某会社で経験させていただきましたからね。)

唯一、弟子として心残りなのは、TCCの会員になれなかったことです。4人の師匠はみんなTCC会員なのに。私はTCC準新人賞が2回で終わりました。

30歳前半までは毎年応募していたのですが、CDになったのを機に止めました。他の広告賞は結構貰っている方だと思うので、この不肖の弟子をお許しください。

 次回は、私の弟子について書く予定です。中には弟子と思っていない者もいるかも知れませんがね。