還暦過ぎコピーライターの怪顧録。

今日まで、見たこと、聞いたこと、感じたこと。

クラウドソーシングにトライしてみた!

昨年の11月の話になりますが、ぽっかり時間が空いたので、一度クラウドソーシングにトライしてみようと思ったんです。なにせ初めてなので登録だけで四苦八苦。何とか応募することができました。

一応コピーライター歴40年で、今も現役の私としては、薄っぺらいプライドから、コンペ形式のネーミングおよびキャッチフレーズ(厳密にはスローガンだと思うのですがね)を10案件ほどピックアップ。それぞれに付きコピー1案限定で応募しました。果たしてその結果は…

■改めてクライアントとのコミュニケーションの重要性を認識。

なんと全敗です。とはいえ、お気に入りマークがついたコピーが5案、お礼が来たのが2案、また1案は依頼先がどの案も採用しなかったということで、分配金が出たのですが、金額が少な過ぎて現時点では受け取ることができません。

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クライアントに採用されたコピー案はすべてチェックさせていただきました。その中で1〜2案は「やられた!」と感じましたが、他はどこかで見たようなコピーだったり、クライアントの依頼内容に本当に合っているの?と思ってしまうものです。まっ、負け惜しみといわれても仕方ないですがねw

今回のトライで改めて思ったのはクライアントとのコミュニケーションの大切さです。コピーは一発で決まることもありますが、クライアントと何回かやり取りすることが多いです。

理由としては、クライアントの考えがしっかり定まっていないことと、コピーライターがクライアントの想像を超えたり、意表を突いたりするコピー案を出すからです。

クライアントが自分の会社や製品のことを贔屓目なしで、冷静な目で見て判断することは非常に難しいことです。それは自身の履歴書を書くのが難しいのと似ています。伝えたいことがアレもコレもと絞り切れず、アピールが散漫になったり、本当に伝えるべきポイントを見失ったりしてしまうのです。

■コピーライターは第三者の目を持っている!

そのようなことを避けるために、第三者として冷静に判断できる広告代理店やコピーライターが存在し、最初に明確なコミュニケーション戦略を立てることが重要なんです。

コピーライターはクライアントからの要望を踏まえながらも、それだけに引っ張られずに、ターゲットの視点でも考えを巡らします。

例えば、男性のコピーライターが女性向け製品やサービスを担当するのは珍しくありません。そんな場合は、ターゲットである女性の意見を聞いたり、リサーチ結果を見たりしながら、女性の視点で考えたり、時には女性に憑依したような状態になることもあるんです(笑)。

またクラウドソーシングでは、案件の詳細欄にクライアントの要望などが記されています。これは一種のコミュニケーション戦略ともいえますが、何を訴求したいのか正直わかりにくいものが多かったです。

もし戦略策定の段階からコピーライターが絡んでいれば、コピーの方向性がより明確になり、コピーを書くのも、コピーを選ぶのも、やりやすくなるはずです。

今抱えている仕事が一段落して、精神的にも立ち直ったら、再度クラウドソーシングに挑戦しようかしらん?今日も還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

 

 

 

 

本当にシビレましたw

今年初めてのアップです。実は昨年11月頃から寝る時に右肩や二の腕に痛みを感じ始めました。早速ネットで調べると、『五十肩』でそのような夜間痛が発症する場合があるとのこと。還暦を過ぎているので、正しくは六十肩ですかね…

数年前にも、左腕の二の腕が痛いことがあり、五十肩(その時は50歳代!)と診断され、ストレッチやスイミングをすることで、いつしか治ってしまいました。

今回も同様だと思っていたのですが、一向に改善しません。12月になると痛む箇所が腕の下の方へ広がって、中旬頃には手の親指や人差し指辺りにシビレを感じるようになりました。

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※本文とは関係ありません。あくまでもイメージです。


「これはヤバい!」と思いましたが、年明けすぐに某大学病院で3ヶ月ごとの定期検査があるので、そこまで我慢しようと、ロキソニンテープを張っていました。右肩から手首までロキソニンテープ三昧です。

ただ、大晦日に散髪に行った時は、髭をそるのに椅子を倒すと右手が痛くてたまりません。耐えられない痛さだったので、椅子を倒さず、髭をそってもらいました。すみません。

■カラダは正直です。

落語の枕ではありませんが、病院の待合室で「今日、〇〇さん見かけませんね。」「う~ん。どこか具合悪いのですかね?」というように、歳を取るとあちこち悪くなるんです。

私の場合、少し早かったですが、40代後半から、原因不明のある病気を発症し、色々な病院を経て、最終的に治験を行っていた某大学病院を紹介され、それ以来、定期的に通院しています。

その後、他の病気も同じ病院で受診。3ヶ月に1度、血液、尿、また必要に応じてエコーやCT検査を受けています。今回の血液検査ですが、3ヶ月前には正常だった肝機能と血糖値がX、さらに血圧もX。めでたく禁酒宣告!

心当たりは十分にあります。コロナ太りに加え、年末・年始は酔っぱらうと右腕の痛みが消えるので酒量がずいぶん上がっていました。

さらに、11月は44年ぶりに高校時代を過ごした高松へ行って飲み過ぎ、東京に戻ってきて広告代理店時代の同僚の訃報を立て続けに聞いて痛飲、おまけに義父の一周忌などもあり、飲み続けていましたからね。カラダは正直です。

■シビレと付き合っていくしかないの?

そうそう問題の右腕ですが、最初に1週間分の『痛み止めの薬』をもらったのですが、ほとんど効かず、MRI検査をしたところ、頚椎症性神経根症の疑いがあるらしいです。

でも、右より左の方が圧迫されているとのこと。不思議。とりあえず来週また病院に行かなくてはなりません。ああ今月だけでもう5回目の通院です。

これまで絶対に失敗できない“シビレるような”仕事をした経験はありましたが、本当に“シビレ”ながら、仕事をしたのは初めてw

他の持病と同じように、これから上手く付き合っていかなくてはならいのでしょうかね。確か梅本洋一氏のコピーだった思いますが、やっぱり「健康一番。お金は二番。」です。

今日も還暦過ぎコピーライターの戯言でした。 

 

校正ミス?変換ミス?それとも教養ミス?

皆さんは大事な書類や原稿の校正でミスを犯したことはありませんか?私は校正が大の苦手です。それは新人コピーライターの時から、今も変わりません。あまりにも苦手なので、その理由を真剣に考えたことがあります。

■他人の原稿は目で読み、自分の原稿は頭で読む。

私が導き出した答えは、「自分で書いたコピーや文章は、頭の中で読んでまうから!」です。チコちゃんに叱られますかね?

その根拠は、校正する際、他人の書いた原稿は初見の場合が多く、内容の確認と共に誤字・脱字に注意しながら、目で追って読みます。

一方、自分が書いた原稿は、すでに内容が分かっているので、1字1字注意して校正しているつもりでも、目ではなく、つい頭の中で読んでいる気がします。何となく説得力があるでしょ。

■今日までバレなかった『校正ミス』を白状します。

さて、私が大学を卒業し、コピーライターとしてキャリアをスタートさせたナショナル宣伝研究所時代のお話しです。

前述したように、私は校正が大がつくほど苦手。運が悪いことに上司だったコピー部の部長も得意ではなかったです。

そのような状況でしたから、2人して『校正ミス』を結構やらかしていました。営業部の部長からは穴が開いたような“ザル校正”をもじって「大ザル、子ザル!」とよく揶揄されたものです。

コピー部では他人の原稿を校正してミスを見つけた場合、1箇所につきビール1本という暗黙の了解があったのですが、私は随分と先輩たちに貢献いたしました。

当時、企画・制作していた広告は新聞がメインだったので、成美製販の岡本さん、吉住さんに幾度となくゲラ刷りの段階で校正ミスをこっそり教えていただき、助けられました。たまに下版してからの修正もあったので、本当に感謝しております。

実は最後まで校正ミスを見つけられず、そのまま掲載してしまった原稿が幾つかかるんです。もう時効ですので白状させていただきます。

まず新聞15段(1ページ)の企業広告で、欄外にある問い合わせ先の社名を『松下電器産業株式会社』とするところを『松下電器株式会社』で掲載してしまいました。ごめんなさい。

また洗濯機の広報紙用の3段(5分の1ページ)広告で、マイコン制御』を1文字間違えて『イ』『ン』になっているのに気づかず掲載してしまいました。他にも見つけていない細かな校正ミスはあったと思います。

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でも、一番印象に残っている校正ミスは、朝日新聞に入稿した企業広告で、校閲部から『広告のビジュアルに使われている世界地図ですが、〇〇〇の国名が旧国名になっていますので、差し替えてください。」と電話があったことです。

具体的な国名は忘れましたが、地図に小さく表示されていたものです。私が書いた広告原稿ではないですが、頼まれて校正はしました。

おそらく制作部で3~4名、営業部で1名、さらに松下の宣伝事業部でも担当者が校正をしてから入稿した原稿です。

グループCDから「これは校正ミスではなく、教養ミスだな。」と言われ、誰もが苦笑いしかできませんでしたね。

今日もこうしてブログを書いていますが、見直すたびに、書き間違いならぬ、打ち間違いを見つけます。でも後から修正できるので良い方です。

マズイのはメールを変換ミスで間違った漢字のまま送ってしまい、後で気づくこと。再送するのも妙だし、困ったものです。『教養ミス』と思われないように、注意しないといけませんね。

今日も還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

このコロナ禍で、コピーライターとして感じたこと。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

日本で最初の新型コロナウィルスの感染者が報告されたのは2020年1月16日(厚生労働省発表)です。それから10ヵ月以上が経ちました。

その間、緊急事態宣言が出され、多くの方が不要不急の外出を控え、人が集まるイベントは軒並み自粛や中止。公共交通機関の利用者が激減し、街は閑散としていました。

そして宣言が解除され、10月から東京もGoToトラベルの対象になると、公共交通機関の利用者はコロナ前の70~80%に戻り、この3連休も都内の繁華街や観光地は結構人出があったようです。

私も2度GoToトラベルを利用しましたが、宿泊先や飲食店、またタクシーの運転手さんに聞くと、東京が対象地域になった10月を境に観光客が激増。改めて東京のチカラを想い知ったそうです。

■第1波も、2波も、3波も煽り続けるマスコミ。

ところが、11月中頃から感染者が増え出すと、「第3波だ!」「GoToトラベルの対象地域をの見直しだ!」「GoToイートの人数制限だ!」と国や地方の首長が慌て出し、案の定、マスコミが煽りはじめています。

本当に“GoTo”が原因なのでしょうか?11月1日から入国制限措置を条件付きで一部緩和したのが原因ではないかと思っているのですがね。だって、ちょうど2週間後から感染者が増えているでしょ。

まっ、テレビのワイドショーなどは視聴率さえ上がれば良い訳ですからね。出演のたびにコロナウイルスの不安を煽って、気がつくと化粧や衣装が派手になり、芸能プロダクションと契約した大学の先生までいらっしゃいます。

いずれにしろ、これまでのコロナ騒動は“マスコミ”が煽り、明らかに先導しものです。結果として経済活動が停滞し、その罰(ばち)が当たって、テレビも、新聞も、スポンサーが離れ、取り扱い広告費も一段と落としています。まさに自業自得。そのうちN○Kにも罰が当たるでしょう。

■三密、ソーシャルディスタンス、ニューノーマルに、五つの小?

さて、このコロナ禍で、『三密』、『ソーシャルディスタンス』、『ニューノーマル』、おまけに『五つの小』…など、色々な言葉が生み出されました。最後の『五つの小』は、もう“フリップ芸”の域です。おそらく本家本元の『新型コロナウイルス』か『三密』あたりが、今年の“流行語大賞”の本命なのでしょう。

私は数年前から、スポーツと一部のドラマを除いて、テレビをほとんど見ていません。もっぱら情報はYouTubeなどのネット番組から得ています。理由はテレビが面白くなくなったのに加え、ニュースも信頼できないからです。

そんな私がこのコロナ禍でYouTubeを見ていて感じたのは、「ナショナルクライアントの広告が増えたこと。」、「名の知れたタレントを起用した広告が多くなったこと。」、「テレビCMの流用(併用)がちょくちょく見受けられること。」などがあります。中でも強く感じたのは「ダイレクトすぎる表現の広告がやたらと多いこと。」です。

YouTube広告はターゲットが絞り込めるので、ダイレクトな表現やストレートなメッセージを発信することで、効果があるのは理解しています。しかしながら、表現が余りにも“どストレート”すぎて、品がないというか…。

例えば、ネットやオンライン会議を使った集客の広告で、「×週間で売上が××%上がる」「月××万円稼げる」などのコピー表現は、私の目には“出来の悪い三行広告”にしか見えません。というより、若い人は知らないと思いますが、むかし電話ボックスや公衆トイレに貼られていたヤバい広告と同じ臭いを感じてしまいます。

■広告の『ソーシャルディスタンス』は大丈夫?

繰り返しになりますが、ダイレクトレスポンス広告だから、ストレートなメッセージが効くというのはわかります。しかし、レスポンスさえ良ければ、それで良いのでしょうか?

同じターゲット層でも、ただ煽られているような広告コピーに、不快感や不信感を抱いてしまう人もいるはずです。それはコロナ禍で不安を煽り続けてきたマスコミと何ら変わりがありません。

ストレートにベネフィットや価格を訴求をするにしても、ニーズを訴求するにしても、広告のコピーは、そのターゲットとの距離感、いわゆる“ソーシャルディスタンス”が大切だと思います。

何故なら、距離が遠すぎると伝わりませんし、近すぎるとウザがられてしまう。付かず離れずのほど良い距離感を見つけ出してアプローチすることで、広告に対する信頼感も生まれるのです。はい。

■イメージコピーとセールスコピー?

ネット広告が盛んになってから、広告コピーには“イメージコピー”と“セールスコピー”の2種類あるといわれているそうですが、ニュースリリース、DM、SPツール、そして各種のマスメディア広告まで、ブランド単位で担当してきたコピーライターとしては違和感を覚えます。

ダイレクトレスポンスを求めるのがセールスライターであるとしても、もう少しコピーの切り口やアプローチの仕方に工夫があっても良いと思いますよ。またコピーの組み立てがパターン化しているのも気になります。

自分が書いたコピーをターゲットに信頼してもらい、アクションを起こさせる。そのためにコピー表現を練る。それがコピーライターとしての矜持だと思うのですが、考え方が古いのでしょうかね。

このコロナ禍で、少なからず影響を受けている、還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

 

 

 

 

 

 

44年前にGoToタイムスリップしてきました。

最近、またコロナウイルスの感染者が増え出し、第3波ではないかとマスコミが煽りだしています。そんな中、GoToトラベルで高校3年間を過ごした高松に、44年ぶりに行ってきました。

11月某日、羽田発の朝一の便で向かったのですが、機内は満席状態です。降り立った高松空港は1989年に開港。私が住んでいた時の空港はもっと市街地にあったはずです。リムジンバスに乗ると案内が、日本語、英語、韓国語、中国語と流れます。私の耳がおかしいのか?韓国語は2種類流れた気がしました。

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高松空港

先ずホテルに荷物を預け、懐かしい高松の街の徘徊を開始!しかし、高松駅(旧高松築港)、琴電瓦町駅は変わり過ぎていて驚きました。

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高松駅

高校の頃は瓦町駅で降りて、並行して幾つかあった商店街をぶらつき、映画を見たり、三越の屋上に行ったり、たまに栗林公園高松築港まで歩いていたのですが、こんなに距離が離れていたとは感じませんでした。昔のように歩いてみましたが、結構時間が掛るんです。やはり歳のせいでしょうか…w

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琴電瓦町駅

その後、長尾線に乗って、母校や訳あって2年間お世話になった下宿などを見に行きました。相変わらず電車は単線の2両編成。瓦町を出てしばらくすると、田んぼも見えてきます。その風景は新たに開通した道路以外は昔と変わりらず、タイムスリップしたようです。

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母校近くの駅で降りて、見て回りましたが、よく通ったパン屋も、お好み焼き屋も、喫茶店も、食堂もありませんでした。中には看板と建物がそのまま残され、廃墟のような所もあって、何ともいえぬ気持になり、写真を撮る気も失せるほどです。

唯一、散髪屋さんがまだ営業していたので、ご主人に声を掛けたところ、「覚えていないね」といわれました。私は一目でわかったのですがね。おそらくご主人は後期高齢者だと思います。

母校の校舎はきれいに建て替えられていましたが、グランドは昔のままです。近くの下宿もそのままありましたが、家の持ち主が変わったらしく、建築関連のビジネスをしていました。昔は農家だったんですよ。

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母校のグランド

その後、御年83歳になる恩師と駅で待ち合わせ、師の運転する車でうどん屋へ行き腹ごしらえ。そして母校近くの街道沿いの喫茶店に行きました。何やら見覚えがあるので、店の人に聞くと昭和45年から営業していて、夜はスナックだったとのこと。

思い出しました!先ほど話に出た散髪屋のご主人と夜に何回か来たことがあります。先生ごめんなさい。また、私が△△高校のOBだというと、「その高校の生徒さんは良く来ていたよ。私の姪の○○も通っていたしね。」

ビックリです。その○○さんと私は3年間同じクラスですし、一緒いる恩師が担任であったことを伝えました。それから1時間ほど、昔話をして恩師と別れて駅に向かって歩き始めたところ、ある家に気づきました。

それは高校3年の時に付き合っていた彼女の家です。表札の名前も確かめたので間違いありません。彼女は私と違う高校の生徒でした。実は高校1年で私がまだ自宅から郊外の学校に通っていた時、とある駅で毎朝のように彼女を見かけて、一目惚れしていたんです。

大学受験を控え、勉強しなければいけない時期なのに、どうしても自分の気持ちを伝えたくて、彼女と同じ中学だった同級生に頼んで会わせてもらいました。その報いでしょう。しっかりと浪人生活を堪能させていだきました。バカですねw

彼女の家に人影はなく、表札も、自転車も、エアコンの室外機も…長い間放置され、朽ち果てていくのを待っているようです。駅に着くと待合室は当時のまま。ここで彼女と初めて2人っきりで会って「付き合ってほしい」と告白したんです。それから1週間に2~3日は会ってましたね。残念ながら2人でよく行った喫茶店はコンビニになっていました。

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駅の待ち合わせ室

次の日、同級生2人と再会して飲む前に、ほんの2ヵ月ですが通った中学校、友達の家、私が家族と過ごした家を訪ねた後、栗林公園などの観光地を回ったのですが、その周りの閑散とした住宅街や商店街とのギャップを感じました。ところで栗林公園の動物園にいた自分のアレを投げつけるゴリラはどうしたのでしょうか?

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商店街にある銀行

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栗林公園

大阪の千里ニュータウンにある中学校から3年の3学期に高松へ転校してきた時、「何と自転車が多い街なのだろう。」と感じましたが、それは44年経った今も変わらず「何と自転車に乗ったシニアが多い街なのだろう。」と思いました。

2人の旧友とのひと時はとても楽しかったです。去年10月に大阪の中学校の還暦同窓会があり、その時「生きてるうち、飲めるうち、動けるうちに会いたい人には会うべき。」と強く思い、半ば強引に今回GoTo高松をしました。本当は迷惑だったかも知れません。

3日目は午後から雨で、ほとんどホテルに居ましたが、それが逆に良かったです。色々なことを思い出して整理ができました。夕食後、ホテルの最上階のラウンジに行ったのですが、バーテンの方が高校の後輩で話が弾み、ちょっと飲み過ぎましたね。やはり東京がGoToの対象エリアになってから観光客が増えたとのことです。

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ホテルの部屋からの朝焼け

最終日、3泊4日を高松で過ごし、朝一の飛行機で東京に戻るのですが、当日ちょうど良いタイミングのリムジンバスがありませんでした。平日はあるようですがね…仕方なくタクシーを使いましたが、「何でこの観光シーズンの日曜にリムジンバスが出ないの?」。でも、それが何となく高松らしい気もします。私の中で高松は商売っ気が中途半端な街なのです。

こうして、3泊4日のGoToタイムスリップの旅は終わりました。次はどこにGoToしましょうか?今回も還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

 

私が書いた『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』。

先回は私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について書かせていただきました。今回は私が書いた『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』です。還暦を過ぎましたので、これまでのコピーライター人生を振り返る意味もあります。

作品としてちゃんと残してあるものもあれば、どこかに行ってしまったものも。また残念ながらWebやオンライン広告についてはほとんど手元にありません。一部のコピーについては記憶だけを頼りに書きます。“普通のコピーライター”の“普通のコピー”ですが、しばらくお付き合いください。

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■デビュー作は「その日から、使えます。」

すでにブログで何度も書きましたが、私は80年代のコピーライターブーム真っ只中に、運よくナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)に新卒で入社しました。その年、採用されたコピーライターは2名。私は松下電器チームに、もう1名の彼女はビクターチームに配属されました。

松下電器チームといっても、企業宣伝・広報、OA(オフィスオートメーション)、キッチン家電、エアコン、さらに旭硝子山之内製薬など、担当するものはさまざまです。当初、私は主に企業宣伝・広報とOAを担当していました。後にエアコンも担当することになります。

さて、その年の10月に『パナワード手書き』という、キーボード入力ではなく、手書き入力できる画期的なワープロが発売されることになりました。担当は私です。理由は私が制作部で唯一人ワープロを使えたから。当時のコピーライターは鉛筆で原稿用紙にコピーを書いており、「ペンだこは、出来るコピーライターの証」と言われていたほどです。

私がワープロを使えたといっても、暇な時に営業部の女性スタッフに教えてもらいながら、1文字ずつキーボードを打ち込むレベルで、なかなか上達はしませんでした。その歯がゆい想いをコピーにしたのが「その日から、使えます。」です。

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ボディコピーの出だしは「もう、ワープロを使うのに、特別な練習は必要ありません。」という具合で、私の実感がこもっているでしょ。このコピーの広告が初めて朝日新聞や読売新聞などの全国紙、また名だたる多くの雑誌に掲載されました。いわば私のメジャーデビュー作ですし、好きなコピーです。

■力まない、頑張りすぎない自然体のコピーが好きです。

それと「同じオレンジでも、しぼり方でおいしさが違います。」(キリン・トロピカーナ「この新聞も読み終えたら、リサイクルにお回しください。」(P&G/リサイクルキャンペーン)、「もっと世界を楽しもう。」(H.I.S)も好きなコピーですね。

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最後の「もっと世界を楽しもう。」は企業スローガンで、2001年にH.I.Sのロゴと一緒に制作を依頼されたのですが、昨年11月にロゴがリニューアルされると共に姿を消しました。約20年間使われていましたから、長寿だったと思います。やはり長寿の秘訣は、必要以上に頑張らないことのようです。

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ちなみに、『H.I.S』の意味は、創業者の澤田秀雄さんのお名前からの取ったもので、元々は“Hide”+“International”+“service.”の略です。当時HISに別の意味を付けたいということで、ロゴ下のコピーも私が考えました。

長寿といえば、パナソニックエアコン『Eoria』。今から30年以上前に『楽園』に代わるネーミングとして、私が考えたものです。徳永英明さんのキャンペーンソング『風のエオリア』もヒットしました。

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しばらく別のネーミングが使われていましたが、パナソニックのエアコン事業60年を記念して復活したそうです。2年前に突然テレビから『Eoria』の商品名が聞こえてきたときには驚きました。

■嫌いじゃないのは、そこはかとなく愛おしいから。

 次に私が書いた『嫌いじゃないコピー』。『好きなコピー』との違いは、屁理屈かもしれませんが、正面切って「好きなコピー!」とは言いたくないけど、「わかる?何となく良いでしょ?」とニヤついてしまうコピーということです。

その屁理屈で選ぶと「みんな、愛に恋してる。」CBSソニーレコード/渡辺美奈代アルバムLOVE)、「口紅をしない日。」ジャックパーセル/アパレル&シューズ)、「本当はね。おいしいものって、料理する前から、おいしいんですよ。」(リプトン)は嫌いじゃありません。

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それに「ニャンたって、ほしいワン!」(ナインライブス&チャンプ/ペットフード)も別の意味でニヤッとできるでしょ。

番外編ですが、はじめて「キャッチフレーズは無し」という決断をしたコンバース。個人的に広告賞に応募した「迷子の大男。」竜馬がゆく文藝春秋「おしゃべりな靴だ。」(ワシントン靴店)、「親父の野郎!角で殴りやがった!」サントリー角瓶)も嫌いじゃないコピーです。

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さて、ここまで私の書いた『好きなコピー』と『嫌いなコピー』について、好き勝手に述べさせていただきました。これからも「もっとコピーを楽しもう。」という気持ちを忘れずに、現役コピーライターとして頑張ります。ご相談などございましたら、お気軽にご連絡ください

私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』。

私は80年代の“コピーライターブーム”に、奇跡的に広告業界に紛れ込むことができ、今もコピーを書いています。残念ながら、私自身は「あのコピーは××さんの作品」と言われるほど、有名なコピーライターにはなれませんでしたが、地道に仕事をこなし、幾つかの広告賞もいただきました。

そんな“普通のコピーライター”の私が選んだ『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について書かせていただきます。

何せ還暦過ぎですので、皆様にとっては古いコピーがメインになると思いますが、お付き合いください。

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 ■あの頃、目標だったコピーの名手たち。

コピーライターブームの真っ只中に、広告制作会社に入った私にとって、糸井重里氏、仲畑貴志氏、真木準氏は、まさに憧れの的。彼らに一歩でも近づこうと、暇さえあればTCCコピー年鑑やADCデザイン年鑑などを読み漁っていましたね。

幸いにも私が入社したナショナル宣伝研究所は、日本で一番古い広告制作会社で、コピーやデザイン関連の書籍類が、オフィスの壁一面の本棚に所狭しと並んでいて、新人にとっては良い環境でした。これまで私の作品もADCデザイン年鑑には幾つか載りましたが、TCCコピー年鑑には名前のみが3回ほど載っただけです。いつも準新人賞止まりだったもので…悔しいです!

当時は糸井氏のおいしい生活。」西武百貨店)、仲畑氏の「好きだから、あげる。」(丸井)、真木準氏の「でっかいどお。北海道。」全日空)などのコピーが注目され、黒子だったコピーライターが、ちょくちょく表舞台に登場するようになっていました。マドラ出版から各氏の作品集(全仕事)が出され、私は秋山晶氏と土屋耕一氏の作品集も購入。そうそう『コピーライターズスペシャル』(成文堂新光社)という雑誌もありましたね。ある弟子に貸した後、すべて行方不明です。

■「やられた!」と感じた、好きなコピー。

さて、私の好きなコピーですが、憧れの的だった糸井氏ですと「サラリーマンという仕事はありません。」(西武セゾングループ)、仲畑氏では「カゼは社会の迷惑です。」(武田製薬)、真木氏は「恋が着せ、愛が脱がせる。」伊勢丹)でしょうか。コピーの裏に物事の真理が垣間見えるのが、とても好きです。

でも、一番好きなのは「向き不向きより、前向き。」、このコピーは私の座右の銘にもなっています。確か『劇団ひまわり』の新聞広告のコピーで、オリコミ広告(現オリコム)のコピーライターの方が書いていたはずです。

他に好きなのは「地図に残る仕事。」大成建設)、「なにも足さない、なにも引かない。」サントリー)。また「負けるな、相手は小学生だ。」(ライオン/全日本バレーボール小学生大会)を見た時は、「やられた!」と思うと同時に笑いました。それぞれ切り口(発想)が凄いところが好きです。好きなコピーを挙げ出したら限がないので、とりあえずこの辺で止めておきます。

■「ニヤッ」とさせられた、嫌いじゃないコピー。

次に嫌いじゃないコピーですが、まず「大いなる味と香り。」マールボロ)です。土屋耕一氏が書いたもので、CMのナレーションでは「大いなる世界から広がる味と香り。」だったと思います。これは原文「Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.」の意訳コピーなのですが、原文との付かず離れず感が堪りません。私もマールボロを担当していたので、その苦労がわかります。

「恋人は、しょせん、素人です。」(東京ヘルス)も嫌いじゃないです。まさに真理!でも、このようなクライアントを担当することなんて、滅多にありませんからね。

南無阿弥陀仏の暇もない。」ブルース・リー/ドラゴン危機一髪)も嫌いじゃない。私が中学生の時からブルース・リーのファンだったということもありますが、これを書いた杉山明人氏は私の先輩です。

彼はナショナル宣伝研究所から仲畑広告制作所に移り、コピーライターとして一世を風靡。2012年に逝ってしまいましたが、コピーにスピード感があって、非常に彼らしいです。

それと時価が恐くてすしが食えるか。」(新潟・港すし)。ローカル紙に載った広告コピーなのですが、新潟で一番高い寿司屋がズバッと言い切っているのが素晴らしい!もちろん、この店のネタもシャリも素晴らしいです。

どうして知っているかって?実はこの寿司屋の三代目の店主が、小学校の同級生なんです。昨年、数十年ぶりに再会し、何回か店にも行かせていただきました。まさにこのコピー通りの気持ちじゃないと、お店に入れませんw未だ続くコロナ禍で苦戦しているのではないかと、ちょっと心配しています。

さて、ここまで私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について、好き勝手に書かせていただきましたが、改めてコピーの奥深さをや楽しさを感じますね。コピーライターの個性や力量によって、コピーの切り口も表現も千変万化。「いやぁ、コピーって本当にいいもんですね。」これからも現役コピーライターとして、頑張りますので、宜しくお願いします。