還暦過ぎコピーライターの怪顧録。

今日まで、見たこと、聞いたこと、感じたこと。

このコロナ禍で、コピーライターとして感じたこと。

f:id:ymo1959:20201122151023j:plain

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

日本で最初の新型コロナウィルスの感染者が報告されたのは2020年1月16日(厚生労働省発表)です。それから10ヵ月以上が経ちました。

その間、緊急事態宣言が出され、多くの方が不要不急の外出を控え、人が集まるイベントは軒並み自粛や中止。公共交通機関の利用者が激減し、街は閑散としていました。

そして宣言が解除され、10月から東京もGoToトラベルの対象になると、公共交通機関の利用者はコロナ前の70~80%に戻り、この3連休も都内の繁華街や観光地は結構人出があったようです。

私も2度GoToトラベルを利用しましたが、宿泊先や飲食店、またタクシーの運転手さんに聞くと、東京が対象地域になった10月を境に観光客が激増。改めて東京のチカラを想い知ったそうです。

■第1波も、2波も、3波も煽り続けるマスコミ。

ところが、11月中頃から感染者が増え出すと、「第3波だ!」「GoToトラベルの対象地域をの見直しだ!」「GoToイートの人数制限だ!」と国や地方の首長が慌て出し、案の定、マスコミが煽りはじめています。

本当に“GoTo”が原因なのでしょうか?11月1日から入国制限措置を条件付きで一部緩和したのが原因ではないかと思っているのですがね。だって、ちょうど2週間後から感染者が増えているでしょ。

まっ、テレビのワイドショーなどは視聴率さえ上がれば良い訳ですからね。出演のたびにコロナウイルスの不安を煽って、気がつくと化粧や衣装が派手になり、芸能プロダクションと契約した大学の先生までいらっしゃいます。

いずれにしろ、これまでのコロナ騒動は“マスコミ”が煽り、明らかに先導しものです。結果として経済活動が停滞し、その罰(ばち)が当たって、テレビも、新聞も、スポンサーが離れ、取り扱い広告費も一段と落としています。まさに自業自得。そのうちN○Kにも罰が当たるでしょう。

■三密、ソーシャルディスタンス、ニューノーマルに、五つの小?

さて、このコロナ禍で、『三密』、『ソーシャルディスタンス』、『ニューノーマル』、おまけに『五つの小』…など、色々な言葉が生み出されました。最後の『五つの小』は、もう“フリップ芸”の域です。おそらく本家本元の『新型コロナウイルス』か『三密』あたりが、今年の“流行語大賞”の本命なのでしょう。

私は数年前から、スポーツと一部のドラマを除いて、テレビをほとんど見ていません。もっぱら情報はYouTubeなどのネット番組から得ています。理由はテレビが面白くなくなったのに加え、ニュースも信頼できないからです。

そんな私がこのコロナ禍でYouTubeを見ていて感じたのは、「ナショナルクライアントの広告が増えたこと。」、「名の知れたタレントを起用した広告が多くなったこと。」、「テレビCMの流用(併用)がちょくちょく見受けられること。」などがあります。中でも強く感じたのは「ダイレクトすぎる表現の広告がやたらと多いこと。」です。

YouTube広告はターゲットが絞り込めるので、ダイレクトな表現やストレートなメッセージを発信することで、効果があるのは理解しています。しかしながら、表現が余りにも“どストレート”すぎて、品がないというか…。

例えば、ネットやオンライン会議を使った集客の広告で、「×週間で売上が××%上がる」「月××万円稼げる」などのコピー表現は、私の目には“出来の悪い三行広告”にしか見えません。というより、若い人は知らないと思いますが、むかし電話ボックスや公衆トイレに貼られていたヤバい広告と同じ臭いを感じてしまいます。

■広告の『ソーシャルディスタンス』は大丈夫?

繰り返しになりますが、ダイレクトレスポンス広告だから、ストレートなメッセージが効くというのはわかります。しかし、レスポンスさえ良ければ、それで良いのでしょうか?

同じターゲット層でも、ただ煽られているような広告コピーに、不快感や不信感を抱いてしまう人もいるはずです。それはコロナ禍で不安を煽り続けてきたマスコミと何ら変わりがありません。

ストレートにベネフィットや価格を訴求をするにしても、ニーズを訴求するにしても、広告のコピーは、そのターゲットとの距離感、いわゆる“ソーシャルディスタンス”が大切だと思います。

何故なら、距離が遠すぎると伝わりませんし、近すぎるとウザがられてしまう。付かず離れずのほど良い距離感を見つけ出してアプローチすることで、広告に対する信頼感も生まれるのです。はい。

■イメージコピーとセールスコピー?

ネット広告が盛んになってから、広告コピーには“イメージコピー”と“セールスコピー”の2種類あるといわれているそうですが、ニュースリリース、DM、SPツール、そして各種のマスメディア広告まで、ブランド単位で担当してきたコピーライターとしては違和感を覚えます。

ダイレクトレスポンスを求めるのがセールスライターであるとしても、もう少しコピーの切り口やアプローチの仕方に工夫があっても良いと思いますよ。またコピーの組み立てがパターン化しているのも気になります。

自分が書いたコピーをターゲットに信頼してもらい、アクションを起こさせる。そのためにコピー表現を練る。それがコピーライターとしての矜持だと思うのですが、考え方が古いのでしょうかね。

このコロナ禍で、少なからず影響を受けている、還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

 

 

 

 

 

 

44年前にGoToタイムスリップしてきました。

最近、またコロナウイルスの感染者が増え出し、第3波ではないかとマスコミが煽りだしています。そんな中、GoToトラベルで高校3年間を過ごした高松に、44年ぶりに行ってきました。

11月某日、羽田発の朝一の便で向かったのですが、機内は満席状態です。降り立った高松空港は1989年に開港。私が住んでいた時の空港はもっと市街地にあったはずです。リムジンバスに乗ると案内が、日本語、英語、韓国語、中国語と流れます。私の耳がおかしいのか?韓国語は2種類流れた気がしました。

f:id:ymo1959:20201114130923j:plain

高松空港

先ずホテルに荷物を預け、懐かしい高松の街の徘徊を開始!しかし、高松駅(旧高松築港)、琴電瓦町駅は変わり過ぎていて驚きました。

f:id:ymo1959:20201114130855j:plain

高松駅

高校の頃は瓦町駅で降りて、並行して幾つかあった商店街をぶらつき、映画を見たり、三越の屋上に行ったり、たまに栗林公園高松築港まで歩いていたのですが、こんなに距離が離れていたとは感じませんでした。昔のように歩いてみましたが、結構時間が掛るんです。やはり歳のせいでしょうか…w

f:id:ymo1959:20201114130755j:plain

琴電瓦町駅

その後、長尾線に乗って、母校や訳あって2年間お世話になった下宿などを見に行きました。相変わらず電車は単線の2両編成。瓦町を出てしばらくすると、田んぼも見えてきます。その風景は新たに開通した道路以外は昔と変わりらず、タイムスリップしたようです。

f:id:ymo1959:20201114131534j:plain

母校近くの駅で降りて、見て回りましたが、よく通ったパン屋も、お好み焼き屋も、喫茶店も、食堂もありませんでした。中には看板と建物がそのまま残され、廃墟のような所もあって、何ともいえぬ気持になり、写真を撮る気も失せるほどです。

唯一、散髪屋さんがまだ営業していたので、ご主人に声を掛けたところ、「覚えていないね」といわれました。私は一目でわかったのですがね。おそらくご主人は後期高齢者だと思います。

母校の校舎はきれいに建て替えられていましたが、グランドは昔のままです。近くの下宿もそのままありましたが、家の持ち主が変わったらしく、建築関連のビジネスをしていました。昔は農家だったんですよ。

f:id:ymo1959:20201115132943j:plain

母校のグランド

その後、御年83歳になる恩師と駅で待ち合わせ、師の運転する車でうどん屋へ行き腹ごしらえ。そして母校近くの街道沿いの喫茶店に行きました。何やら見覚えがあるので、店の人に聞くと昭和45年から営業していて、夜はスナックだったとのこと。

思い出しました!先ほど話に出た散髪屋のご主人と夜に何回か来たことがあります。先生ごめんなさい。また、私が△△高校のOBだというと、「その高校の生徒さんは良く来ていたよ。私の姪の○○も通っていたしね。」

ビックリです。その○○さんと私は3年間同じクラスですし、一緒いる恩師が担任であったことを伝えました。それから1時間ほど、昔話をして恩師と別れて駅に向かって歩き始めたところ、ある家に気づきました。

それは高校3年の時に付き合っていた彼女の家です。表札の名前も確かめたので間違いありません。彼女は私と違う高校の生徒でした。実は高校1年で私がまだ自宅から郊外の学校に通っていた時、とある駅で毎朝のように彼女を見かけて、一目惚れしていたんです。

大学受験を控え、勉強しなければいけない時期なのに、どうしても自分の気持ちを伝えたくて、彼女と同じ中学だった同級生に頼んで会わせてもらいました。その報いでしょう。しっかりと浪人生活を堪能させていだきました。バカですねw

彼女の家に人影はなく、表札も、自転車も、エアコンの室外機も…長い間放置され、朽ち果てていくのを待っているようです。駅に着くと待合室は当時のまま。ここで彼女と初めて2人っきりで会って「付き合ってほしい」と告白したんです。それから1週間に2~3日は会ってましたね。残念ながら2人でよく行った喫茶店はコンビニになっていました。

f:id:ymo1959:20201115133948j:plain

f:id:ymo1959:20201114130647j:plain

駅の待ち合わせ室

次の日、同級生2人と再会して飲む前に、ほんの2ヵ月ですが通った中学校、友達の家、私が家族と過ごした家を訪ねた後、栗林公園などの観光地を回ったのですが、その周りの閑散とした住宅街や商店街とのギャップを感じました。ところで栗林公園の動物園にいた自分のアレを投げつけるゴリラはどうしたのでしょうか?

f:id:ymo1959:20201115133441j:plain

商店街にある銀行

f:id:ymo1959:20201115133040j:plain

f:id:ymo1959:20201114130825j:plain

栗林公園

大阪の千里ニュータウンにある中学校から3年の3学期に高松へ転校してきた時、「何と自転車が多い街なのだろう。」と感じましたが、それは44年経った今も変わらず「何と自転車に乗ったシニアが多い街なのだろう。」と思いました。

2人の旧友とのひと時はとても楽しかったです。去年10月に大阪の中学校の還暦同窓会があり、その時「生きてるうち、飲めるうち、動けるうちに会いたい人には会うべき。」と強く思い、半ば強引に今回GoTo高松をしました。本当は迷惑だったかも知れません。

3日目は午後から雨で、ほとんどホテルに居ましたが、それが逆に良かったです。色々なことを思い出して整理ができました。夕食後、ホテルの最上階のラウンジに行ったのですが、バーテンの方が高校の後輩で話が弾み、ちょっと飲み過ぎましたね。やはり東京がGoToの対象エリアになってから観光客が増えたとのことです。

f:id:ymo1959:20201114130700j:plain

f:id:ymo1959:20201114130725j:plain

ホテルの部屋からの朝焼け

最終日、3泊4日を高松で過ごし、朝一の飛行機で東京に戻るのですが、当日ちょうど良いタイミングのリムジンバスがありませんでした。平日はあるようですがね…仕方なくタクシーを使いましたが、「何でこの観光シーズンの日曜にリムジンバスが出ないの?」。でも、それが何となく高松らしい気もします。私の中で高松は商売っ気が中途半端な街なのです。

こうして、3泊4日のGoToタイムスリップの旅は終わりました。次はどこにGoToしましょうか?今回も還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

 

私が書いた『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』。

先回は私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について書かせていただきました。今回は私が書いた『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』です。還暦を過ぎましたので、これまでのコピーライター人生を振り返る意味もあります。

作品としてちゃんと残してあるものもあれば、どこかに行ってしまったものも。また残念ながらWebやオンライン広告についてはほとんど手元にありません。一部のコピーについては記憶だけを頼りに書きます。“普通のコピーライター”の“普通のコピー”ですが、しばらくお付き合いください。

f:id:ymo1959:20201114100433j:plain

■デビュー作は「その日から、使えます。」

すでにブログで何度も書きましたが、私は80年代のコピーライターブーム真っ只中に、運よくナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)に新卒で入社しました。その年、採用されたコピーライターは2名。私は松下電器チームに、もう1名の彼女はビクターチームに配属されました。

松下電器チームといっても、企業宣伝・広報、OA(オフィスオートメーション)、キッチン家電、エアコン、さらに旭硝子山之内製薬など、担当するものはさまざまです。当初、私は主に企業宣伝・広報とOAを担当していました。後にエアコンも担当することになります。

さて、その年の10月に『パナワード手書き』という、キーボード入力ではなく、手書き入力できる画期的なワープロが発売されることになりました。担当は私です。理由は私が制作部で唯一人ワープロを使えたから。当時のコピーライターは鉛筆で原稿用紙にコピーを書いており、「ペンだこは、出来るコピーライターの証」と言われていたほどです。

私がワープロを使えたといっても、暇な時に営業部の女性スタッフに教えてもらいながら、1文字ずつキーボードを打ち込むレベルで、なかなか上達はしませんでした。その歯がゆい想いをコピーにしたのが「その日から、使えます。」です。

f:id:ymo1959:20201019094935j:plain
ボディコピーの出だしは「もう、ワープロを使うのに、特別な練習は必要ありません。」という具合で、私の実感がこもっているでしょ。このコピーの広告が初めて朝日新聞や読売新聞などの全国紙、また名だたる多くの雑誌に掲載されました。いわば私のメジャーデビュー作ですし、好きなコピーです。

■力まない、頑張りすぎない自然体のコピーが好きです。

それと「同じオレンジでも、しぼり方でおいしさが違います。」(キリン・トロピカーナ「この新聞も読み終えたら、リサイクルにお回しください。」(P&G/リサイクルキャンペーン)、「もっと世界を楽しもう。」(H.I.S)も好きなコピーですね。

f:id:ymo1959:20201019095428j:plain

f:id:ymo1959:20201019095447j:plain
最後の「もっと世界を楽しもう。」は企業スローガンで、2001年にH.I.Sのロゴと一緒に制作を依頼されたのですが、昨年11月にロゴがリニューアルされると共に姿を消しました。約20年間使われていましたから、長寿だったと思います。やはり長寿の秘訣は、必要以上に頑張らないことのようです。

f:id:ymo1959:20201019095107j:plain

ちなみに、『H.I.S』の意味は、創業者の澤田秀雄さんのお名前からの取ったもので、元々は“Hide”+“International”+“service.”の略です。当時HISに別の意味を付けたいということで、ロゴ下のコピーも私が考えました。

長寿といえば、パナソニックエアコン『Eoria』。今から30年以上前に『楽園』に代わるネーミングとして、私が考えたものです。徳永英明さんのキャンペーンソング『風のエオリア』もヒットしました。

f:id:ymo1959:20201019095656j:plain

しばらく別のネーミングが使われていましたが、パナソニックのエアコン事業60年を記念して復活したそうです。2年前に突然テレビから『Eoria』の商品名が聞こえてきたときには驚きました。

■嫌いじゃないのは、そこはかとなく愛おしいから。

 次に私が書いた『嫌いじゃないコピー』。『好きなコピー』との違いは、屁理屈かもしれませんが、正面切って「好きなコピー!」とは言いたくないけど、「わかる?何となく良いでしょ?」とニヤついてしまうコピーということです。

その屁理屈で選ぶと「みんな、愛に恋してる。」CBSソニーレコード/渡辺美奈代アルバムLOVE)、「口紅をしない日。」ジャックパーセル/アパレル&シューズ)、「本当はね。おいしいものって、料理する前から、おいしいんですよ。」(リプトン)は嫌いじゃありません。

f:id:ymo1959:20201019102016j:plain

それに「ニャンたって、ほしいワン!」(ナインライブス&チャンプ/ペットフード)も別の意味でニヤッとできるでしょ。

番外編ですが、はじめて「キャッチフレーズは無し」という決断をしたコンバース。個人的に広告賞に応募した「迷子の大男。」竜馬がゆく文藝春秋「おしゃべりな靴だ。」(ワシントン靴店)、「親父の野郎!角で殴りやがった!」サントリー角瓶)も嫌いじゃないコピーです。

f:id:ymo1959:20201019100946j:plain

さて、ここまで私の書いた『好きなコピー』と『嫌いなコピー』について、好き勝手に述べさせていただきました。これからも「もっとコピーを楽しもう。」という気持ちを忘れずに、現役コピーライターとして頑張ります。ご相談などございましたら、お気軽にご連絡ください

私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』。

私は80年代の“コピーライターブーム”に、奇跡的に広告業界に紛れ込むことができ、今もコピーを書いています。残念ながら、私自身は「あのコピーは××さんの作品」と言われるほど、有名なコピーライターにはなれませんでしたが、地道に仕事をこなし、幾つかの広告賞もいただきました。

そんな“普通のコピーライター”の私が選んだ『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について書かせていただきます。

何せ還暦過ぎですので、皆様にとっては古いコピーがメインになると思いますが、お付き合いください。

f:id:ymo1959:20201013153255j:plain

 ■あの頃、目標だったコピーの名手たち。

コピーライターブームの真っ只中に、広告制作会社に入った私にとって、糸井重里氏、仲畑貴志氏、真木準氏は、まさに憧れの的。彼らに一歩でも近づこうと、暇さえあればTCCコピー年鑑やADCデザイン年鑑などを読み漁っていましたね。

幸いにも私が入社したナショナル宣伝研究所は、日本で一番古い広告制作会社で、コピーやデザイン関連の書籍類が、オフィスの壁一面の本棚に所狭しと並んでいて、新人にとっては良い環境でした。これまで私の作品もADCデザイン年鑑には幾つか載りましたが、TCCコピー年鑑には名前のみが3回ほど載っただけです。いつも準新人賞止まりだったもので…悔しいです!

当時は糸井氏のおいしい生活。」西武百貨店)、仲畑氏の「好きだから、あげる。」(丸井)、真木準氏の「でっかいどお。北海道。」全日空)などのコピーが注目され、黒子だったコピーライターが、ちょくちょく表舞台に登場するようになっていました。マドラ出版から各氏の作品集(全仕事)が出され、私は秋山晶氏と土屋耕一氏の作品集も購入。そうそう『コピーライターズスペシャル』(成文堂新光社)という雑誌もありましたね。ある弟子に貸した後、すべて行方不明です。

■「やられた!」と感じた、好きなコピー。

さて、私の好きなコピーですが、憧れの的だった糸井氏ですと「サラリーマンという仕事はありません。」(西武セゾングループ)、仲畑氏では「カゼは社会の迷惑です。」(武田製薬)、真木氏は「恋が着せ、愛が脱がせる。」伊勢丹)でしょうか。コピーの裏に物事の真理が垣間見えるのが、とても好きです。

でも、一番好きなのは「向き不向きより、前向き。」、このコピーは私の座右の銘にもなっています。確か『劇団ひまわり』の新聞広告のコピーで、オリコミ広告(現オリコム)のコピーライターの方が書いていたはずです。

他に好きなのは「地図に残る仕事。」大成建設)、「なにも足さない、なにも引かない。」サントリー)。また「負けるな、相手は小学生だ。」(ライオン/全日本バレーボール小学生大会)を見た時は、「やられた!」と思うと同時に笑いました。それぞれ切り口(発想)が凄いところが好きです。好きなコピーを挙げ出したら限がないので、とりあえずこの辺で止めておきます。

■「ニヤッ」とさせられた、嫌いじゃないコピー。

次に嫌いじゃないコピーですが、まず「大いなる味と香り。」マールボロ)です。土屋耕一氏が書いたもので、CMのナレーションでは「大いなる世界から広がる味と香り。」だったと思います。これは原文「Come to where the flavor is. Come to Marlboro Country.」の意訳コピーなのですが、原文との付かず離れず感が堪りません。私もマールボロを担当していたので、その苦労がわかります。

「恋人は、しょせん、素人です。」(東京ヘルス)も嫌いじゃないです。まさに真理!でも、このようなクライアントを担当することなんて、滅多にありませんからね。

南無阿弥陀仏の暇もない。」ブルース・リー/ドラゴン危機一髪)も嫌いじゃない。私が中学生の時からブルース・リーのファンだったということもありますが、これを書いた杉山明人氏は私の先輩です。

彼はナショナル宣伝研究所から仲畑広告制作所に移り、コピーライターとして一世を風靡。2012年に逝ってしまいましたが、コピーにスピード感があって、非常に彼らしいです。

それと時価が恐くてすしが食えるか。」(新潟・港すし)。ローカル紙に載った広告コピーなのですが、新潟で一番高い寿司屋がズバッと言い切っているのが素晴らしい!もちろん、この店のネタもシャリも素晴らしいです。

どうして知っているかって?実はこの寿司屋の三代目の店主が、小学校の同級生なんです。昨年、数十年ぶりに再会し、何回か店にも行かせていただきました。まさにこのコピー通りの気持ちじゃないと、お店に入れませんw未だ続くコロナ禍で苦戦しているのではないかと、ちょっと心配しています。

さて、ここまで私の『好きなコピー』と『嫌いじゃないコピー』について、好き勝手に書かせていただきましたが、改めてコピーの奥深さをや楽しさを感じますね。コピーライターの個性や力量によって、コピーの切り口も表現も千変万化。「いやぁ、コピーって本当にいいもんですね。」これからも現役コピーライターとして、頑張りますので、宜しくお願いします。

今ならパワハラ?の師弟関係?②

先回は私の師匠について書きましたが、不肖 の弟子だった私にも、4人の弟子がいます。もしかしたら、本人たちは弟子だとは思っていないかも知れませんがね。そんなこともあるので、名前はイニシャルで書かせていただきます。

f:id:ymo1959:20201015153005j:plain

■不肖の弟子が教えた、4人の弟子たち。

最初の弟子はナショナル宣伝研究所に資料整理のアルバイトで入ってきた男性Mくんです。とにかくファッションが凄くて、当時バブル景気に踊りはじめた六本木でも目を引きました。まっ、とてもクリエイターらしい服装だったともいえます。

将来コピーライターになりたいというので、仕事の合間に課題を出し、一緒にブレストをしたり、お互いのコピー案を出して評価したり…と、私なりに頑張って教えたつもりです。

キャッチフレーズはイマイチでしたが、語りかけるような“柔らかめのボディコピー”は上手かったですね。ひょっとしたら、私より文章力は有るのかも?と感じた時もありました。

アルバイト期間は1年半ほどでしたが、私が入社して転職するまでの5年間、新人コピーライターが入ってこなかったので、彼にコピーを教えたことは、とても良い経験になりました。

彼がアルバイトを辞めて4、5年後でしょうか?ある後輩の結婚式の二次会で同席した時、彼から某有名誌のライターをしていると名刺を渡され、とても嬉しかったことを覚えています。

確か近々結婚も予定していると聞かされ、その二次会を途中で抜け出して、2人で近くのBarで祝杯を挙げたはずです。

■えっ!ウソ!コピーを書いたことがないの?

次の弟子も男性です。Fくんは新卒で外資系広告代理店レオ・バーネットに入社してきました。私が最初の教育係に命じられたのですが、まともにコピーを書いたことがない、まったくの素人です。

仕方がないので、私がコピーライター養成講座に通っていた頃に読んだ本を貸したり、課題を出して添削したりと、“コピーのいろは”から、それはそれは外資系らしく上品かつ丁寧に教えました。

その彼が3年目にTCC新人賞にノミネートされたのですが、「北京大学に留学したい。」という理由で突然退職。そういえば、早稲田で中国語を専攻していたっけ。私はすでに次の代理店に移っていましたが、一度会って話した記憶があります。

北京大学を卒業後、香港で起業して成功していると聞いていますが、昨今の香港の状況をニュースで知るたび、心配でなりません。

 ■はじめての女性の弟子は元営業部員。

3人目の弟子は女性です。ヘッドハンティングで転職した外資系広告代理店JWTで、Oさんは私の真横の席でした。彼女は新卒で営業部に配属されたのですが、コピーライターになりたいと社内試験を受けて、移動してきたばかりだったようです。

大手外資系メーカーのトイレタリー製品のコピーを担当していたのですが、コピーライターの上司はいません。一緒のチームではなかったのですが、見るに見かねて、最初はこっそりコピーの添削などをしていました。

元営業部だったので、英語が堪能で、頭の切れも良く、とても前向きでした。余談ですが、ほんの一時期お互いの住まいがとても近かったんです。

その後、私のチームである紅茶の雑誌広告とCMを考える仕事があったのですが、コピーは格段に上手くなっていました。

あれから20数年の時が流れ、最近その彼女がJWTを辞めたことをfbで知りました。良く頑張ったと思います。

最後に会ったのは、彼女の結婚式?いや私が経営していた飲食店のオープン時に、一度みんなで来てくれましたから、15、6年前ですかね。

■最後の弟子は、手強いお嬢様。

最後の弟子も女性です。私は広告代理店を辞めた後、フリーとして活動していましたが、縁あってC&R社と契約を結びクリエイティブディレクター兼プロデューサーとして働いていた時のアシスタントです。

Nさんはお嬢様大学を卒業後、いわゆる『三行広告』(案内広告)専門の代理店にいたのですが、共通の知り合いから紹介され、コピーライター見習い兼アシスタントとして雇ってもらいました。色々な意味で一番手間が掛かった弟子です。 

コピーライターの基本となる情報整理の仕方から、戦略の立て方、切り口の見つけ方、表現アイディアの発想法まで、実際の案件に沿ってOJTのように、繰り返し教えたつもりだったのですが、なかなか習得できません。

別にキツイ言い方も、無茶な指示もしていないのに、ふと横を見ると泣いていることも。恐る恐る理由を聞くと、泣きじゃくりながら「出来ない自分が悔しいんです。」と返してきました。

すでに40歳過ぎの立派なオジサンだった私は、その涙と言葉に“胸キュン!”(死語?)すると共に、“一皮剥く”ことが必要だと感じました。要は“お嬢様気質”からの脱皮です。

それまで、「情報を整理し、自分なりの視点で消化してコピーを書く。」ことを中心に教えていましたが、それ以降、彼女にはもっと現場の空気を吸わせ、どれだけの人が、どれだけの想いで広告に携わっているのか、身をもって感じるように仕向けました。

具体的には、ブリーフやプレゼンに同行させたり、CMの打ち合わせや撮影に立ち会わせたり、退社後も食事を兼ねて友人のクリエイターを紹介したり、時には休日のロケハンに付き合わせたこともあります。

もちろん、すべて本人の了解を取ってのことですが、今のご時世なら、これらは『パワハラ』、『セクハラ』の類でしょうね。でも、彼女には不可欠な経験だったと思っています。

1年半ほどアシスタントを務めてくれましたが、会社の事情もあり、彼女自身もステップアップしたいというので、知っているコピーライター事務所や広告制作会社に声を掛けました。

タイミングよく、私が新卒で勤めていたクリエイターズグループMac(旧:ナショナル宣伝研究所)が中途採用を近く予定しているというので、経験3年以上が条件でしたが、頼み込んで入社試験を受けさせてもらったところ、見事に合格。

コピーライターとして8年ほど頑張っていたようですが、結婚を機に辞めたと聞いています。幾つかの広告賞で名前を見つけた時は、嬉しいというより、ホッとしました。

最後に会ったのは、彼女が転職して1年ほど経った2002の冬ですね。日韓ワールドカップがあった年なので覚えています。私の目の前には“お嬢様”ではなく、“頼もしいコピーライター”がいました。

年を取ると昔のことが懐かしく、つい長々と書いてしまいました。みんな元気でいることを願っています。もし、このブログを読んで「私のことだ!」と思ったら、連絡くださいね(笑)。

 ■今もコピーライターの師弟関係はあるのだろうか?

私は独立して以降、クライアントからの要望でコピーライティング教室は何度か行いましたが、弟子のようにマン・ツー・マンで教えたことはありせん。

今も広告代理店や制作会社では、コピーライターの師弟関係は存在しているのでしょうか?もし存在しているとしても、昔のような濃さはないのでしょうね。

一歩間違えると『パワハラ』『セクハラ』になりそうですし、おまけに過労死などを防止するために『働き方改革』のガイドラインまで示されていますから。

ネットで知る限り、コピーライターのをはじめ、Webライターやセールスライターになるための情報も、また関連書籍の数も、私たちの時代と比べると遥かに多く、恵まれています。

しかし、コピーライターという職業は知識だけではなれません。職人的な側面があり、ある程度は理不尽で辛い経験もしなければ上達しないと、私個人は思うのですが…。昭和生まれの還暦過ぎコピーライターの戯言でした。

今ならパワハラ?の師弟関係?①

その昔、私が新人コピーライターだった時のお話です。新卒で入社したナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)の先輩コピーライターから「明日の朝までにコピーを100本は書いてこいよ!」と言われるのは当たり前。

いざ必死で100本書いたコピーを見せると「ダメだな!」と、その場でコピーを丸めて投げられたり、ゴミ箱の上に置かれたりしていました。

さすがに後で悪いと思ったのでしょう。投げたコピーの中から「これと、これは、面白いと思うよ。でも上(社長)を説得できないかもね。」「この切り口で、もう少し考えてみたら?」などとアドバイスをしてくれました。

また、仕事が終わると、毎晩のように「ちょっとメシ食って帰るよ!」と飲みに誘われ、いつも同じような説教と愚痴を聞かされるのです。そして最後に「明日の朝までにコピー100本だからな!」と言って帰っていきます。

今だと完全に『パワハラ』ですよね。でも、その当時は「これも修行だ!」と、そんなに嫌でもなかったです。ただ、たまに高い飲み屋の支払いを“割り勘”にされた時は「誘われたのに、何で?」と腹が立ちましたがね。

f:id:ymo1959:20201013175139j:plain■私のコピーの師匠は4人です。

まず宣伝会議コピーライター養成講座でお世話になった電通の岡田耕さん。まだコピーライターの卵にもなっていない、私の“微々たる可能性”を最初に褒めてくれた人です。

「このコピーの切り口は素晴らしい。きっと良いコピーライターになれるでしょうね。」と一般コースの時に言われ、その気になって専門コースは岡田耕さんのクラスを選びました。

あっ!河田卓さんにも褒めらたことがあります。私、褒められると勘違いするタイプなんです。

コピーライターになってからお会いしたのは、2、3年続いた岡田クラスの同窓会と、私が卒業生として養成講座で講義をした時ぐらいですかね。

そうそう思い出しました。岡田さんから2度ほど突然電話が掛かってきて、電通系列の広告制作会社に転職しないかと言われ、何回か会っていますね。

いずれもグラフィック広告専門の制作会社だったのでお断りしましたが、中村禎さんや神谷幸之助さんのように電通本体に誘ってくれたら、二つ返事で行ったのにね。

ご本人に直接聞いていませんが、確か新潟のご出身で、年齢的に今年亡くなった私の父と同じ高校の同級生または1年先輩にあたるのではないでしょうか。私の勘違いでしたら、すみません。

随分と前になりますが、岡田さんの訃報は電通報で知りました。本当にありがとうございました。

次の師匠も同じく養成講座でお世話になった電通の石田さんです。岡田さんがお忙しい方だったので、よくピンチヒッターで専門コースの講師をなさってました。石田さんとはコピーライターになってからも、ちょくちょくお会いして飲んでいましたね。

飲みながらコピーのアドバイスを受けたり、転職の相談をしたりしていたのですが、ひょんなことから行き違いが生じ、もう20年以上お会いしておりません。早期退職なさり、東京経済大学の講師などをされていたようですが、お元気でいらっしゃることを願っております。

■コピーライターの基本を叩き込んでくれた師匠。

残る2人の師匠は、前述したナショナル宣伝研究所の先輩こと福永さんと、コピー部の部長だった島田さんです。最後にお会いしたのは4年前でしょうか?当時グループCDだった京藤さんのお通夜の席です。

福永さんは、ちょっとバンカラ(死語?)なところはありますが、曲がったことが大嫌いで、情のある良い先輩でした。

ただ明治大学の出身で、私が法政大学の出身であることを、ネタに色々といわれましたがね。

新人の時は福永さんの広告原稿をリライトすることが多く、“ナショ研調”といわれていた文体がカラダに染みつき、未だに書いていると、ときどき顔を出します。

島田さんは温厚な方でしたが、妙に頑固なところもありましたね。松下電器旭硝子の企業広告/技術広告をメインに担当されており、長めのボディコピーがとても上手かったです。文書の切り方、言い回しなどを良くチェックされました。

私も松下電器の企業広告を担当していたので、島田さんと取材に行くことが多かったです。取材先に対する礼儀作法から、聞くべきポイント、取材後の情報整理の仕方など、色々と学ばせていただきました。

でも、私と同じように島田さんも『校正』が余りお得意ではなく、2人して“ザルのように穴の開いた校正ミス”をするので、営業部の部長から『大ザル、子ザル』と呼ばていました。

■師匠!不肖の弟子ですみません。

実際、今なら『パワハラ』といわれることも多々あったと思います。CMの仕事をしたくて、私はナショ研を5年で卒業し、広告代理店に転職したわけですが、時代の違いか?世代の違いか?人一倍厳しくコピーの基本を叩き込んでくれたことを、還暦を過ぎた今でも大変感謝しております。
(※本当のパワハラはとても陰湿です。残念ながら某会社で経験させていただきましたからね。)

唯一、弟子として心残りなのは、TCCの会員になれなかったことです。4人の師匠はみんなTCC会員なのに。私はTCC準新人賞が2回で終わりました。

30歳前半までは毎年応募していたのですが、CDになったのを機に止めました。他の広告賞は結構貰っている方だと思うので、この不肖の弟子をお許しください。

 次回は、私の弟子について書く予定です。中には弟子と思っていない者もいるかも知れませんがね。

 

コピーは足で書け!

もちろん、鉛筆やペンを足の指に挟んでコピーを書くことではありません。私がコピーライターになった80年代には、当然インターネットなどはなく、コピーを書くための参考資料は、本屋や図書館に足を運んで探すんです。

実際、私は広尾の中央図書館と国会図書館、それに八重洲ブックセンターの常連でした。

また真夜中の青山ブックセンター(麻布警察の近くにある朝まで営業している本屋)に行くと、服に切り張りした写植文字を付け、指先がペーパーセメントで黒くなった、一目でデザイナーとわかる同業者をよく見かけたものです。
(※今の時代に写植やペーパーセメントと言われても、たぶん分からないですよね。)

f:id:ymo1959:20201013143258j:plain

松下電器の企業広告なども担当していたので取材も多かったです。それに大規模展示会に行って競合他社のカタログなどを片っ端から集めたり、とにかくコピーを書くための情報は歩いて知るのが一番だったんです。

展示会といえば、今年はコロナ禍で、ネット展示会が多いとか。そういえば、ネット展示会用の動画コンテンツの話がありました。結局、見積競合で負けましたが…

あとで相手の見積を知ったのですが、驚きました。私個人のプロモーションビデオをお願いしたいぐらいの価格です。クオリティは大丈夫なのか知らん?

ネット社会になって、広告制作を取り巻く環境は日々変わり続けています。例えば、昨年の年間広告媒体費で、とうとうネット広告がテレビ広告を抜いちゃいましたよね。

またWebライターやセールスライターという職業が活況を呈しているようなので、まったくの素人の振りをして、昨年『ストアカ』の講座を3つほど聞きに行きました。還暦過ぎのコピーライターも一生懸命キャッチアップに努めているのです。

ストアカ』の体験記は、またの機会に。すみません。ちょっと話が横道に逸れてしまいました。時を戻そう!

私が原稿用紙と“にらめっこ”していると、横の席の先輩コピーライターから、「時代の空気を感じるために、街を歩いてこい!」とも言われました。「時代の空気」「トレンディ」「ナウい」…すっかり死語ですがね。

思い返すと「街を歩いてこい!」は、時代の空気を感じるためではなく、街を歩いている間の気づきと、頭を整理するために必要だったのでしょう。

今でも煮詰まった時は「頭をガラ・ガラ・ポン!」するために歩いています。ただ、歩いた帰りに余計な店に立ち寄ったり、つい無駄な物まで買ったり…その習性だけは還暦を過ぎた今も昔も変わっていないようです。