還暦過ぎコピーライターの怪顧録。

今日まで、見たこと、聞いたこと、感じたこと。

80年代コピーライターブームの洗礼①

私が広告業界を志したきっかけは、80年代に巻き起こったコピーライターブームです。就職活動を控えた大学4年生になる春、就職読本を読んで「広告の文章を考える仕事か…これこそ天職だ!」という根拠のない自信から、宣伝会議コピーライター養成講座に通いはじめました。

f:id:ymo1959:20201013125639j:plain
(※別に正体がばれても良いのですが、念のため個人情報なので保護しておきます。)

正直なところ、当時NHK教育テレビの『YOU』で司会を務めていた糸井重里氏以外のコピーライターについてはまったく知らず、養成講座の初日に、周りの受講生が『広告批評』を片手に、「仲畑さんの××のコピーが良いよね!」「真木準の△△のコピーも彼だから書けるんだよ…」などの会話を聞き、面食らったのを覚えています。あの当時、『ナカハタ』といえば、野球の『中畑清』しか思い浮かばない私でした。

とはいえ、何とか養成講座も『一般コース』から『専門コース』へと進み、10月となり就職活動の解禁日を迎えました。大学のゼミ仲間が、次々と企業から内定をもらう中、広告業界、しかもコピーライター1本に絞っていた私は予想以上に苦戦!D通もH堂もD広も撃沈、I企とA通に至っては指定校制で受けられず、Y広では面接官に「またコピーライター志望か…頑張ってね!」と言われる始末です。広告制作会社も回りましたが、コネがない新卒は門前払いで会ってもくれません。

11月に入り、ゼミの教授に就活状況を報告に行った際、大学の求人掲示板に『コピーライター募集・広告代理店X』を発見。聞いたことがない社名でしたが、「就職浪人だけはしたくない」という焦りから、帰宅後、履歴書を急いで書いて郵送しました。

実はその日、教授から「まだ内定が出ていないのは君だけだよ。築地市場で仲買をしている友人の会社を紹介しようか?」と言われていたのです。もし首を縦に振っていたら、趣味の釣りではなく、仕事として“ゴム長”をはいて、魚を捌いてたかもしれませんねw(つづく)